第2話回顧 2
2話Bパート、ギルモンが学校に来てしまって大騒動――の巻。
1990年代に、大映がガメラを復活させる企画をした時、最初にシナリオを書いたのは私と弟の和哉だった。数年前に平成ガメラの大型本が出版され、その中にも収録されている。私も弟も東宝怪獣映画に親しみがあったが、和哉は大映の旧ガメラ・シリーズも、「ジュヴナイル的にはアリ」という立場だった。この時書いたシナリオは、和哉の志向性で書いていた。恐らく金子修介監督作になるとも聞いていた。私は東宝の、特に近年のVSゴジラ・シリーズと差別化を図りたいと、子どもが育てるガメラを描く。これはオリジナルの「大怪獣ガメラ」(1965)が“子どもに優しい”という描写があったし、本作にチラッと触れられているのだが、ガメラが古代文明の生体兵器として作られたという設定を最大限に活かした。そうでなくては、なぜジェットを噴射して回転して飛行するのか判らないからである。企画要件としてギャオスと対決する事も条件化されていたのだから、合理的な解釈だと今も思う。
結局このシナリオはキャンセルされて(当時の大映内部では我々のヴァージョンを支持する意見もあったそう)、伊藤和典さんが書かれた「ガメラ 大怪獣空中戦」(1995)が映画化された。映画の成功を見れば、これが正解だったと認めざるを得ない。
尚、余談ながら、2006年の「小さき勇者たち~ガメラ~」は、大映が組織改編した角川ヘラルド映画(現在の角川映画)の製作で、企画が発表された時には内心訝しんだのだが、公開前、既にこの件を忘れていた私に担当プロデューサーの一人が面会を申し出てきて、子ども向けガメラ映画の台本(小中兄弟版)は存在を知らなかったと述べられていた。ただ、似ているので一言申し上げておきたいという趣旨だった。実際のところ、キャンセルされても当時の脚本執筆料は受領しているのだから、文句を言える立場に私はいない。
成就しなかったプロットというものに、私が自分で意識している以上に固執する性質だったらしく、テイマーズに取り掛かった時には全く考えていなかったが、完成した二話を見たら、このBパートはおおよそが小中兄弟版「ガメラ」の一部に似ている。決して再現をしている訳ではない。ギルモンはギルモンだし、主人公像も全く違うのだけれど。
デジモンアドベンチャー、同02を見てきた視聴者としては、急に対象年齢を下げられた様な感覚を覚えたかもしれない。しかし、これもリアルな小学生が、字義通りの“大冒険”をする為に必要なプロセスだった。
タカトはギルモンを家には置けないと、登校前に作戦を開始。
前に子ねこを貰った事があったという。
ギルモンがリアライズした工事現場の片隅――、段ボールでバリケードを築く。
タカトの家は自家製パンの店。パンはふんだんにあるので、学校が終わるまではそれを食べていてと言うのだが、まだ言葉がちゃんと通じていないギルモンには伝わらない。
ギルモン、というかデジモンの食性は……、本来的には「無い」。公式設定では性別もないのだから。しかしギルモンはパンが大好きになっている。
しかしタカトがいなくなってしまうと――
ゴーグルをつけているのをからかわれるタカト。自慢したいのを必死に堪えている。
この後、やはりブルーカードが消えているのを再確認。
公園から学校へとタカトたちは駆けていくのだが――、巨大な四角い箱が……。
体育の時間。走り幅跳びをしている。
校庭の向こう側を移動する、段ボール。
まさか、ね……。
時代が移ろい、2021年現在の大型テレビは薄く、更に面積は巨大化した。今のテレビの梱包箱ではギルモンを隠せない。
これまた体罰する気まんまんの男性教諭、ドアの向こうで妙な音を聞く。
廊下に出てみると、誰もそこにはいないのだが、何故かドアに深い爪痕が……。
っていう流れは、児童怪獣映画というより完全に“学校の怪談”系。
リアリティに拘る作劇を心掛けていたが、この黒沢校長とギルモンの掛け合いは完全にコメディである。
かぶり物をとれと命じる校長に、ギルモンはタカトの言いつけなのだからとらないと譲らない。
無理矢理箱をとろうと踏ん張る校長。学校で一番偉いのは校長だという、これまた問題発言なのだけれど……、ギルモンはん~と考えて、素直に応じる。
ギルモンは校長が遊び相手になってくれる事を期待しているが――、
脅えた校長は非常ベルを鳴らす。当然学校内騒然に。
ここでギルモンが鼻をクンクンさせて別棟を見下ろすのだが、これは台詞でフォローしていないので伝わり難かったかもしれない。ギルモンは“パンの匂い”=タカトの匂いと認識してしまっているのだ。
タカトは胸騒ぎを抑えられず、校舎へ走る。
校長は怪獣がいると主張しているのだが、他の教諭には信じられていない。ませた女子生徒が笑いながら“学校の怪談”に言及している。
生徒たちが群がっている中、迂闊にも歩き出している――
こら、と耳を引っ張られるテリアモン。
タカトが駆けてくる。
推移を観察していた――、ジェンリャの後ろ姿。
テレビの段ボール箱がうち捨てられているのを見て、確信する。ギルモンが学校に来てしまった。この後、タカトの父親限定で、ギルモンの事を“段ボール”と呼ぶ事になる。
どうやら校内に現れたデジモンのテイマーが彼らしい、と察するジェンリャ。
別棟は給食室だった。全校生徒のパンが消えたという。
この絶望ぶり……。
どうしようと途方に暮れ歩いていたタカトに声をかける少年。
あれはデジモンだ。
流れ出す「健良のテーマ」。ギルモンがデジモンだと看破している。何故なら――
この人がテイマー? と声を出してジェンの脚に絡みつく――
テリアモンが喋ってる!
テリアモンはちょっと調子に乗っている。
自分のパートナー・デジモンとちゃんと付き合えないんじゃ、デジモン・テイマー失格だな。――とのっけから毒舌。
タカトはその言葉に打ちのめされる。
こら、とジェンがテリアモンを叱責するが、モーマンターイとはしゃいでいる。
02の二作目の映画「デジモンハリケーン」に初登場したテリアモンを気に入った関プロデューサーは、3年目のシリーズでレギュラーに入れる。当然私もその映画を見て、多田葵さんの演技を聞いてから作劇しているのだが、のっけから映画版の健気さはなく、よく言えばゴーイング・マイ・ウェイなキャラクターになっている。これには二つの理由があった。人間の主人公を最初は少なくするというのは企画時からだが、その一人をいわゆる帰国子女にしたいと関プロデューサーは考えた。現在はもっと多くなっているが、外国人の児童が少しずつ増え始めていた時期だった。また、フジテレビの担当プロデューサー川上大輔さんが、まさに帰国子女でもあったのもある。
映画ではコーカソイドの少年がパートナーだったので、本シリーズではアジア人が良いだろうと、香港人と日本人のハーフという設定になる。そこでキャラクターをあれこれ会議で揉んでいる時に、テリアモンの口癖を「無問題」(モーマンタイ)にしたいと関プロデューサーが言い出す。ジェンリャの身体能力についてもここで参照していたのは、当時の香港映画だった。
そして、旧サイトでも書いた事だが、シナリオ・インする前に、玩具の発売の関係で、先にテリアモンとクルモンの声を録音する事になった。
ここで貝澤さんがクルモンの口調を指示して決める事になった。一方テリアモンは――、普通に必殺技の「プチツィスター」などを言って貰ったのだけれど、調整室で聞いていたら、あれ? こういう感じだったっけ? と私の中で「?」マークが湧き出ていた。多田さんが、02映画の時から時間が経っていた事もあるだろうし、そもそもあの映画のテリアモンは過酷な状況の演技が多かった。「ジェーン」と呼ぶ様な台詞などが、ふわふわと宙に浮いている感覚で、更に「モーマンターイ」になると完全に脱力してしまった。あ、そうか。テイマーズのテリアモンはこうなんだ、と私が多田さんの演技に引っ張られたのだ。
早くもタカトは涙を見せる。演出の佐々木憲世さんは、テイマーズではこの話と9話だけ登板された。両話とも、タカトが泣く回でもあった。
涙を拭って空を見上げる――
タカトは、理屈ではなく何かに引っ張られて、校舎の屋上へと昇る。
やはり、ギルモンがいた。寂しげに空を見上げていた。
タカトが声を掛けると、満面の笑みでタカトの名を呼びながら飛びつく。
これ、重いだろうなぁ、という強烈な記憶を抱いていた。だから2017年に書いたCDドラマでのギルモンとタカトの再会を、これの反復としたのだった。
もうちょっとで学校終わるから、それまで待っていてとタカトが言うと、ギルモンがそしたらいっぱい遊ぼうと言う。タカトは泣き笑いでうんと答える。
下校時――、新宿中央公園の、後にギルモン・ホームと設定されるエリアへ。ただ、実際には画面右側の様な斜面はなく、歩道のすぐ脇にある。
コートの様な金網柵の脇を歩いている時――、ギルモンが野性に戻る。
いきなり膝で痛打されるギルモン。
どきなさい、テイマー、と冷徹に告げる――、
デジモン・バトルだよ。レナモンは闘いたがっている、と告げる留姫。
ジェンリャとテリアモンの関係とは全く異質な、留姫とレナモンの関係性。
タカトはひたすら困惑――。
ここで、To Be Continued..となる。
ギルモンと関係を築きだしたタカト、既に絆が出来ているとも言えるが――、既にリアル・ワールドにリアライズしているデジモンとそのパートナーは、それぞれ異質な関係性。これがシリーズ開始ポイントでの構図となる。まだまだ序章はこれでは終われず、三話へと繋がる。
ジェンとテリアモンの関係も、単に愛玩的存在ではなく重いものがあると判ってくるのだが、それも次回以降に。
有り得ない事ではあるが、もしデジモンがこの現実に現れたら――?
それをシミュレーションして想像する時間は、私にとってとても幸せだったと思う。子どもに正面きって提示するのだという言わば“大人の配慮”と、自分が子ども時代に夢想した“こういう事があったらいいな”という、これを書いていた2000年代初頭の私に、まだ僅かに残っていた少年の心がせめぎ合っていたのだと思う。
これを書いている今、私がこれ程熱を入れて、こうしたものが書けるとは最早思えない。年齢を経るというのは様々な知恵や知識を重ねていくものでもあるが、大事だったものを失っていく冷酷な時間でもあると思わされる。
もしテイマーズが好きで見てくれていた人で、少年期のアニメを、いや映像作品でも小説でも、創造したいと思っているクリエイター志望者、脚本家志望者がいてくれたなら、絶対に若い時にしか書けないものがあるのだから、若い間に是非取り組んで欲しい。
デジモンという、大きなプロジェクトのコンテンツでは色々複雑な面があって、私は「人でなし」人格の鉄面皮で東映アニメでの脚本家の在り様を踏み外す事を数々やったが(それも関プロデューサーが容認してくれたからなのだが)、新たなコンテンツ、新たなものを、テイマーズのマインドで、「本当に描きたい物語」を監督やプロデューサー、各話の演出・脚本家と友に創り上げてくれる事を、60歳を超えてしまった私としては願うばかりだ。
#02 Credits
テリアモン:多田 葵
校長先生:菅原淳一
アベックの男:小嶋一成
ゴブリモン:木村雅史
ナレーター:野沢雅子
原画:八島善孝 箕輪 悟
動画:佐藤恭子 篠原悦子
背景:スタジオロフト 井上徹雄 阿部とし子 劉 基連
デジタル彩色:大谷和也 井浦祥子 小久保真希 山内正子
デジタル合成:三晃プロダクション 広川二三男 山口博睦 清水正道 花見早苗
演出助手:まつもとただお 製作進行:山下紀彦