Digimon Tamers 2021 Blog

デジモンテイマーズ放映20周年記念ブログ

Digimon Tamers 2003 「メッセージ・イン・ザ・パケット」

 ※初出時、2002としていたが、CDドラマの発売は2003年だった。シナリオ執筆時が2002年10月。

津村まことさんがオーディションで選ばれた時の、些かドラマティックな事を当人に話したのは、打ち上げの時だった。演技陣については別途書くつもりだ。

最終話放映日だったか、確か新宿の銀座アスターが打ち上げ会場だった。
フジテレビの担当プロデューサー、川上大輔さんはアドベンチャーからテイマーズまでだった。川上さんは帰国子女というか海外育ちの人で、海外で好きだった日本のアニメが「太陽の牙ダグラム」という渋い好みの方だった。だから、私がテイマーズの構成会議で、ちょっと難解なSF設定を振りかざすか、ドラマ構造のツイストを狙うと、自分の好みはそれがいいとも思うが、今の子どもたちに広く見て貰うには――という観点での意見を言われていた。実にプロらしいスタンスだった。

打ち上げの時か、最後の方のホン打ちの時だったか思い出せないが、最後の最後に、川上プロデューサーから言われて記憶に残っているのは、「小中さんは面白いなぁ」としみじみ言われた事だった。私という人間が面白いのか、私の構成が面白かったのか、よく判らずだが、褒められたので「そ、そうですか」とだけ返事をして、どこがとは問わなかった。

 

 

シリーズのラストで、テイマーはデジモンたちと別れねばならなくなる――。そういう終わり方をすると、当初から断固として決めていた訳ではない。
しかし、22,3話を構成している頃には避けられないとも思っていた。

「ぼくの考えたデジモンが、本当に現れる」というのがテイマーズの最大の特徴で、現実に実体化するという事に重きを置いたのが前半だった。
日常に現れる非日常。それが日常化していく過程がドラマだというのは、今も変わらない私のナラティヴに於ける信念だ。
非日常的な存在を、驚きを以て視聴者に提示するには、日常のパートにリアリティがなければならない。だからシリーズ前半は、ちょっとしたディテイルでリアリティが感じ取れる様なシナリオであるべく、構成をしていた。

しかし、明治通りを驀進してくる様な怪獣が現れ、更には空にデジタル・ワールドが蜃気楼の様に見えてしまう事態まで描いてしまうと、もうリアリティの世界ではなくなっている。勿論、デジタル・ワールドに行かねばならない、とタカトが決意をする上でも、また、すぐに方法は判らなくとも、向こうから来るならこちらからも行ける、という感覚を持たせる意味でも、これは必要な描写であった。

デーヴァの差し向けが起こる前から、既にデジモンがリアル・ワールドへリアライズしている現象があった。レナモンもテリアモンも、秘やかにパートナーの許にリアライズしており、これには迎える側(テイマー)の意思の強さが必要だった。
しかし、14話で山木がシャッガイを起動させた時、都庁の空に現れたシャッガイ・ホールに吸い込まれていくデジモンの数は、10や20ではないレヴェルだった。
貝澤さんの作った映像を見て、デジモンリアライズはもっと早くからも起こっており、人に検知されないまま過ごしていたデジモンが多かったと考えた。

つまり、山木のヒュプノス稼働前からもう既に、リアル・ワールドとデジタル・ワールドの境界は崩れつつあったのだ。ヒュプノス、特にシャッガイの稼働は、その境界の堤防を崩した役割であった。

第三部で、ワイルド・バンチとチーム・ヒュプノスは、「デ・リーパーをいかに排除するか」という計画を進めて、テイマーズとデジモンの後援をしている、かの様に見せていたが、実は崩れたリアル・ワールドとデジタル・ワールドの境界を強固に築こうとしていた。これが蟻地獄作戦の本質であった。
つまり、遅かれ早かれ、リアライズしたデジモンはデジタル・ワールドに帰らねばならない状態になる。SF的な設定面で、最後に別れる事になるのは必定であった。


デジモンのアニメは後にも作られるだろう。しかしデジモンのオリジンにまで物語に組み込んだテイマーズは、状況を最終的に元に戻さないと、後のシリーズを新たな気持ちで視聴者が迎えられないだろう、というのも一つの理由だった。


また、本ブログではあまり書いてこなかった事だが、私はテイマーズを一種の怪獣物だと捉えていた。自分自身が子どもの頃から好きだった怪獣物で、子ども自身が怪獣を育てるというジュヴナイルも幾つかの先例があった。本ブログでは大映ガメラのリメイクを、小中兄弟で最初のシナリオを書いた事を記しているが、最後には当然、怪獣と子どもは別れざるを得ない。
ドラえもんの「のび太と恐竜」も最後は別れる。別れる事で、一生忘れられない思い出となる。
私の個人的体験で言えば、幾つかの参照モデルがあった。
一つは、ギルモンの在り方で大きなインスパイア元となった「快獣ブースカ」で、これについては既に記している。

もう一つの参照元は、1971年の東宝チャンピオンまつり(メインは「怪獣大戦争 キングギドラゴジラ」)で上映された「ムーミン」の最初のシリーズ7話「さよならガオガオ」だった。
ズイヨーが企画し、最初は東京ムービー(Aプロ)、途中からは虫プロが製作し1969年、1972年に放送された。音楽が宇野誠一郎ムーミンの声が岸田今日子と、実に味わいのあるアニメだったが、今の著作権管理者には認められないものとなってしまい、事実上封印された。

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「ガオガオの谷」は、ムーミンが「ガオガオ」としか言えない、小さな生き物と出会う話だった。火を噴いたり物騒なところがあるものの、愛らしいガオガオとムーミンは仲良くなっていくのだが、村の識者が調べたところ、それは龍の子であり、成長したら大災厄を引き起こす存在になると判る。ムーミンパパはムーミンに説く。龍は龍として生きるのだから一緒にはいられないと。


ガオガオも夜になると、親を恋しくて遠吠えしていた。翌日、結局ムーミンはガオガオと別れる。一生懸命竜巻を起こそうとしているガオガオを、物陰に隠れていたムーミンは懸命に応援する。頑張れ、頑張れ!

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そして竜巻を起こしたガオガオは、棲み家があるおさびしやまの向こうの向こうの谷に飛び去っていくのを、ムーミンは涙ながらに見送る――という物語。私は小学校中学年だったが、おいおいと泣いた。そして、一生その物語を忘れられなくなった。

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私が子ども向け(ジュヴナイルとしての)怪獣物を考えるなら、こうした体験を今の(当時の)視聴者の子どもにして貰いたかった。
これが、もう一つの理由であった。

こうして挙げると、複合的な理由からテイマーズのラストは落ち着いたのだと言える。
ただ、涙で別れるだけではなく、エピローグでは希望も描いた通り、これで一切タカトとギルモン、ジェンとテリアモン、留姫とレナモンが再び出会う事はないなどと決めつけてはいない。
しかし、安直にすぐに再会する事などは考え難かった。

私の作品の多くが、最終回の後を、視聴者に様々に想像して貰う構造をしていた。テイマーズは子ども向けなので、基本的にはポジティヴな夢として、そうした可能性を残したかった。


私の個人サイトでテイマーズのリソースを公開していた為に、放映後には多くの人からメールを貰った。数年後には海外の人のみがコンタクトしてきては、その後どうなったのかを訊いてくる。その都度私は、それは視聴者それぞれの中にあると答えて、その後どうなったのかを明言するのを避けていた。(まあ主にはカップリング関係の質問だったのだが)
こうした玩具ありきなシリーズの、リメイクはあっても正統的な続編というのは作られた例はなく、出来ないものなどを想像はしたくなかった。

2003年に後番組「デジモンフロンティア」が終了すると、ここで初期デジモン4作で一旦閉じる事になる。
音楽出版NECインターチャネル(当時。現在はFeelme)が、4シリーズの「その後」のCDドラマを出そうという事で、関弘美プロデューサーが東映アニメ側のプロデューサーとなった。
子どもだけという縛りがあった訳ではないが、テイマーズはああいう最終回だったので、一年後だとしても、大きな状況の変化があったとは思えない。

どうやったらオーディオ・ドラマで、パートナー不在のテイマーたちのドラマが成立するのか――。
という事で書いたのが「メッセージ・イン・ザ・パケット」であった。

 

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このタイトルは、The Policeのヒット曲「メッセージ・イン・ア・ボトル」のもじり。元は、誰に届くか判らないメッセージの入った、海を漂う瓶を示すが、テイマーたちのパートナー・デジモンには固有IDがあり、そこへ送られるパケット(現在もネットワーク転送量/枠として使われるが)として、ボイス・メッセージを送ろうというジェンの思いつきが端緒で、リョウも含むテイマーたちがメッセージを吹き込む顛末をドラマにした。
これでも実は、テイマーズは発注側が想定したキャスト数をオーバーしていたのだが、製作している時は知らなかった。当然、アイとマコを呼べなかった。

このドラマは最終話のアフレコから1年近く経っての録音だったが、全く違和感がない。
この中で語られる「思い出」の数々は、私と4人の脚本家が一年の間に記したあれこれ、演出で加わったあれこれも織り込んで、かなりの情報量がある。

如何せんしかし、これにデジモンは出せなかったのだから、より不在感は際立ってしまう。だから、決してリスナーを泣かせたいなどと願った訳ではなく、楽しい要素も入れてはあるものの、問わず語りで吹き込まれるメッセージは、センチメンタルにならざるを得なかった。

今もCDは販売されている。テイマーズ20周年であれこれが商品展開する中で、Feelmeの音楽商品も再販されている。内容には自信があるし、俳優の方々の演技は素晴らしい。
ただ、どうやら私は長く書き過ぎたらしく(登場人物が多い上に、ドラマもそこそこの量があった)、シナリオに記していたエピローグはオミットとなった。このエピローグは、ウエットな読後感(聴後感)を軽減する役割があったのだけれど……。
シナリオはここに置いてあるが、聴いてない人で、テイマーズのシリーズ1年後を知りたい人には、是非聴いて欲しいと願う。

ギルモン・ホームの穴は、山木に知られる事となり(ヒュプノスの機能もすぐに復帰したのだから当然なのだが)、危険を回避する為にコンクリートを注がれて封鎖された、という事になっている。
実際の新宿中央公園の、ギルモン・ホームのモデルにしたところは、金属柵のすぐ背後にはコンクリートと鍵のある鉄のドアがある。当時は「聖地巡礼」という言葉は無かったが、実際に中央公園にテイマーズがモデルにした場所を訪れる人はいるだろうと思ったし、アニメの様な奥行きがない事に失望されるとも思い、そういう設定とした。

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確信を以て書いた「メッセージ・イン・ザ・パケット」だったけれど、その後15年の間、最後にテイマーズを書いたのが、かくもセンチメンタルな内容だった事を悔いるとは思わなかった。本来テイマーズのテイストは、センチメンタルな要素はあるものの、もっとドライに子どもとデジモンを活写する、というものの筈だった。

 

この私の「気分」というのが、2017年に反動として噴き出す事になる……。

 

※追記

マンガ家石井敬士さんから、こうした情報を戴いた。

 全然知らなかった――、のか記憶から消えていたのか、もう自分でも判らない。

う~~~ん、商業的な理由は判らないではないのだが……、実に残念だ。エピローグはなくても成立はする、とシナリオでも記しているが、確か録音はしたのになあ、という朧な記憶はあったので、腑に落ちた。

私はこの特典ディスクは貰っていないと想う。

内容は上述のシナリオを参照ください。