Digimon Tamers 2021 Blog

デジモンテイマーズ放映20周年記念ブログ

後期エンディング

 

24話から替わったエンディング。AiMさんが歌う「Days -愛情と日常-」(作詞:うらん 作曲:うらん 大久保薫 編曲:大久保薫)については、やはり既に触れたのだけれど、まだまだ幾らでも語りたい。本エントリの主題はエンディングの画面なので、節制するけれど、個人的にはもの凄く思い入れのある曲だ。終盤のシナリオを練る時、書いている時は相当に聴き込んだ。

 テイマーズのエンディング・フォーマットは前期もそうだが、1分20秒しかない。これにピッタリはまる、イントロからエンディングまで入れるなんて殆ど普通の曲には不可能。デジモン・シリーズではこれまでに5曲のエンディングが作られている。楽曲の製作時にどこまで配慮されたのかは推測するしかないのだが、アップテンポの曲が多かった理由なのかもしれない。

この「Days」はミドル・テンポ。しかしイントロを半分に短縮しただけで、歌はコーラスの終わりでそのまま自然に終わる。このエンディングは音源化された2種類のトラック(マキシ・シングルと「シングルベストパレード」のThanks Version1)とも違い、リミックスでは不可能な終わり方なので、録音時から映像用のオケも録られていたと思う。それくらい自然に填まっている。

 

後期エンディングは今村隆寛さんが演出された。

雰囲気的なモンタージュ、という印象だったのだが、20年ぶりにしっかり見直すと、何となく意図が見える気がする。

第二部デジタル・ワールド編の為に作られた、リアル・ワールド球を使い倒す。

キャプチャは初出の24話から。

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ドラム・フィルで始まる部分、極めて短いモンタージュ。リアル・ワールド球は、グライドが一応動いているものの、球体そのものは動かさない。

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モノフォニック・シンセのリードが始まるとこのサイズから――

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引いていって――

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新宿駅東口。アルタビルの前にギルモンがいる。

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アップライト・ピアノと共に歌が始まる。アルファ・チャンネルで切り抜かれたタカトのシルエットに青空。

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Aメロ2回目に行くところでタカトが描かれる。巨大なテイマーとリアル・サイズのデジモンという倒錯的な描写。

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ずっとリアル・ワールド球は小さいサイズで残り続けている。

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Bメロ頭。歌う様なベースライン。私が「ビートルズっぽい」と感じた要素の一つ。フェイズ・シフターをかけたギター、ノン・ミュートっぽいドラムなどなど。

ところでレナモンが何に乗っているのか判らない。

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凄い歌詞だと思う。

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留姫が描かれ――

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視線を上げる。

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レナモンと同時に向き合う。

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この部分は音楽に合わせる意図だろうが、長い。

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ジェンが描かれる。

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ドラムが入ってきてサビへ盛り上げる。

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ドラムに合わせてサイズが切り替わる。

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すごいパースのついた都庁。コーラスに入って、これが決まりの画かと思いきや――

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リアル・ワールド球が地面を一掃していく。

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デジタルではなく、エフェクト・アニメーション。リアル・ワールド球はマテリアルとして使われている。

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一掃した後は――

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メサの上に立っている三人。その下は、テイマーズ本篇では描かなかった(避けた)、サイバーなイメエジのデジタル・ワールド。

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テンポに合わせて振り向くジェン――
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留姫――

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タカト――。

 

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コーラス2回目で更にリアル・ワールド球が地面を一掃すると――

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海と、緑の覆う崖上にいる、四体のデジモン

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テリアモンの振り向きは入念。ワンレンの髪を払う的な。

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レナモンの笑う顔って本篇にはなかったと思う。いや決して笑わない訳ではないのだが、レナモンは「ふっ」と俯き加減で笑うので、口元は見えないのだ。

映画「冒険者たちの戦い」では大笑いしていたが。

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角銅さんが言われていたが、恐竜型デジモンの中でもギルモンは、正面顔が様になる希有なキャラクターだった。初期は広角のアングルが多かったが、望遠で捉えると鼻先が少し内向きになっているので、両眼の焦点も合う。

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で、この歌詞を延々と聴いていたら、やはりラヴソングだとしか聴けなくなったのだ。

 

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危機が去った後の時間、というイメエジなのかなぁと思って毎週見ていた。

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しかしよくよく見ると、海にはサイバーな紋様が重なっている。ここは現実世界ではない。

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デジタル・ワールドの中の、海。確かにそういう場所だってあるのだろう。

24話の担当演出、中村哲治さんは前期エンディングを演出されていた。

 

貝澤さんもデジタルに強い、というかデジタル第一世代の演出家で、テイマーズでも新たな表現を撮影(デジタル合成)で指向されていた。今村さんだって担当話ではデジタルを使いこなされていた。普通の画面が少ないとすら感じる程に。

しかし、この後期エンディングはコンヴェンショナルなアニメーションとして完結されている。歌詞のイメエジではとても画面は作れない、と思われたかもしれない。かと言って、デジタルに凝る楽曲でもない。シリーズでも、リアル・ワールド球とダスト・パケット以外は、極力ノーマル(ではないが)な、加工に頼らない場面設定にしていたのだから、このエンディングに違和感は全くない。

一見、ナチュラルな雰囲気。しかしじっくり見ると――という構造を意図されたのだろう。もしタカトたちがデジタル・ワールドに行ったままだったら、という未来像だとすると、これはちょっと怖いのだけれど。

 

最後の「もっと――」というコーダはそのまま全音符でディストーション・ギターがルート・コードの突き放しと共に終わる。CDはどちらもこういう終わり方はしない。こういうメロ自体が、このテイクにしかないのだ。

 

2017年に製作したCDドラマ「Days -情報と非日常-」は言うまでもなく、この曲のタイトルからの無理矢理な引用。この曲で繰り返し歌われる「日常」という言葉は、テイマーズを書いていた2000年~2001年の私にはとても重要なタームだった。そこに現れる「非日常」がデジモンなのだ。

CDドラマはTVサイズではなく、フルの「Days」を収録したいと思っていたのだが、ドラマを長く書き過ぎて、30分に収めるにはイントロをノーマルにしたTVサイズしか収められず、痛恨だった。

フルのヴァージョンを、もっと多くの人に愛聴して貰いたいと今も願う。

 

 で、この曲が終わるとなると――

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「The Biggest Dreamer インストゥルメンタル・ヴァージョン」のイントロが、自動的に再生されてしまう。次回予告がない51話は、そりゃあもう寂しかった……。

 

さて、シリーズの回顧を終えてしまったとなると、その後の幾つかのフォロー的な2種類のCDドラマ、小説などがあるが、いずれも放送後暫くしてのものであり、その前に、私は無関与ながら、デジモンテイマーズの映像作品として放送と平行して公開された映画二本についても触れない訳にはいかないと思っている。