第47話回顧 1
いよいよデ・リーパーが占拠するエリアが拡大していく。
これまでは西新宿という極めて限定的な場所で、子どもとデジモンが戦っていた。
「ぼくたちの町はぼくたちで守るんだ!」という台詞は、デーヴァ編、そしてデ・リーパー編で一回ずつタカトが言っている。
デジタル・ワールドで激烈な戦いをメギドラモンとベルゼブモンがしている間に、大きな地殻変動、デジタル・ハザードが発生した。必死に子どもたちを救おうとしていた山木とジャンユーは、子どもたちがデジタル・ワールドとリアル・ワールド、どちらも救おうとしているのかもしれない、と述べた。確かにそれは事実なのだが、子どもたちにそんな重荷を背負わせてまで、戦わせたくはなかった。
タカトは、そしてジェン、留姫――、ギルモンたちは「友だち」を救い出したい。このシリーズの最終回に向かう主人公たちのモチベーションは、シンプルにそれに絞りたかった。世界を救うのは、その結果もたらされたもので良い。
当然、強固な障壁が樹莉を囲い込んでいるのだが、何よりもタカトたちを退けていたのは樹莉の心的トラウマに他ならない。レオモンというパートナーを失った悲しみだけで、そうした状態にまでならない。
今は継母と暮らしている――という設定から、樹莉の過去が推し量れる。泥臭いまでの親子の情と、近似デジモンをデジタル・ワールド内で構築してリアライズさせる、アニメとしてはハードめなSFを盛り込むプロットを、まさきさんが最後の担当話で作った。
ベルゼブモン周りのエピソードを演出されてきた芝田さんは、最大の見せ場であるエピソードではなく、その前の今話を最後の担当話にされた。作画監督、伊藤智子さんの班も今話がテイマーズではラスト。美術は渡辺佳人さんが今話より3話連続で担当される。
デュークモンを救え! グラニ緊急発進
脚本:まさきひろ 演出:芝田浩樹 作画監督:伊藤智子 美術:渡辺佳人
ベルゼブモンの拳で不可視状態でなくなった、デ・リーパーのカーネル。その中で――
く~……。
じゅーり、じゅーり?
ここまでは前話リプライズ。
くる……。
カーネルの内部で身体を拘束され動かないベルゼブモンの影。
ベルゼブモン! 起きてクル!
少し身体が動く樹莉。
じゅり!
ベル――ゼブ――
モン……。
これが、私の運命だったらしい――。
レオモンの最後の言葉。
やだああああああああっ!!
樹莉が感情を爆発させたのはこれが最後だった――。
うん めい――。完全な黒味の中で、樹莉が「運命」というワードを声にする。
漆黒の闇の中で湧き上がる赤い泡。これまでのデ・リーパーの表現とは異なる。
増大する「赤いもの」
幼い頃の樹莉。シウチョンよりも年下。
傍らに、父の肇。
そして病院の寝台には――
亡くなった母に、おかあさん、と呼び掛ける樹莉。
――こういう、運命だったんだ……。
意味が判らない樹莉。
増大する「赤いもの」。
このインサートは、「不安の象徴」だろう。音響効果と共に、このインサートは70年代の前衛的な演出(NHKの和田勉とか佐々木昭一郎とか)の感覚を思い出す。
!?
その通り。
運命です。と医師。
受け容れなさい、と看護婦(当時はこう表記した)。
はい、と頷く肇。
いたたまれずその場から駆け出す樹莉。
冷徹に目で追う肇と医師。
必死に廊下を走るが――
逃げても無駄だよ。と医師。
諦めなさい、と看護婦。
運命からは逃れられない、と点滴をされている患者。
足を止める。
廊下の向こうに立っているのは――
10歳くらいの女の子――
手には犬のソックパペット。これは現時制の樹莉――
ではない。
運命なんだワーーン。
後退るが――
!?
運命。運命。運命。運命――
増殖した看護婦と患者が歪んでいく。
樹莉の「不安」が、デ・リーパー・ゾーンと重なっていく。
ある意味で、極めて判り易い絵解きではある。しかしこの樹莉の悪夢は、当然ながら本当の出来事の記憶では有り得ない。3歳程度の子どもの記憶なのだ。死とはどういう事なのかすらも、まだはっきりとは判っていない時分の出来事と、その後に思い出す内に、悪夢の中で見た記憶とが合成されている。
デ・リーパーは、この混乱した樹莉の記憶を、実際の記録だと認識したかもしれない。前話で「人間は不合理であり、存在する価値が無い」と断言した背景かもしれない。
この樹莉の幼少期の悪夢場面と、ADR-07 Paratice Headsが「Destiny, Destiny, Destiny...」とJeri(樹莉)の声を再生する場面を編集した動画を海外のファンが作って、「デジモンテイマーズは子ども用アニメではない」というタイトルでYouTubeに上げていた。ちょっと正確なタイトルは覚えていないのでリンクは張れないが。いずれにせよ版権物のアップロードなので本ブログの趣旨的にも張れない。
Excuse me, と言いたかったが我慢した。いや、その動画を作った人も、非難の意味ではなく、子ども向けアニメとしてはエクストリームな表現をしている、という主張をしたかったのだろうとは思う。
しかし、大人が本気で子どもに伝えようとしたら、怖さ恐ろしさも本気で描くのだ。子ども向けだから表現を和らげるべき、というのは、犯罪とか残酷な場面に関してはそうだろうけれど。
大人になっても忘れられない程のショックを受けて貰う。それがテイマーズを体験するという事で、私たちはそう作っていた。だからデジモンテイマーズはあくまでも、子ども向けアニメなのである。
まさきさんがこの誇張した樹莉のトラウマを冒頭に持って来たのは、リアル・ワールドに帰還しても迎えに来なかった肇が、なぜそうだったのか? を掘り込んで中盤の意外な展開を描く為だった。
結果としてだが、この47話の冒頭部は、演出も作画もキレッキレのウルトラ抑圧場面に仕上がった。だが、案外とファンには、この場面がテイマーズの最大トラウマ場面とは認識されいていない様で意外だった。
>>しかし、大人が本気で子どもに伝えようとしたら、怖さ恐ろしさも本気で描くのだ。
— まさきひろ(廣真希/広真紀/Masaki Hiro) (@qeIQKOVicj9PIS9) 2021年7月4日
長崎の小学生は原爆読本という凄い本読まされました(^^;;
教育には悲嘆教育/カウンセリングという身近な人を失った悲しみから子供たちを救うプログラムがあります。樹莉ちゃんの進路選択はそれもあるのかな、と?